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2008年 01月 12日

Domaine Jacques Selosse



シャンパーニュの駅で軽く珈琲を飲み、椅子に座って少し休むと迎えのフランス人が来た。固い握手と挨拶をする。私はその時に初めて彼がシャトー・レクレイエールのシェフソムリエだと知った。
車に荷物を積み、ランス市外からコート・ド・ブランを横目にしながらアヴィズ村へと向かう。私のシャンパーニュ好きになったきっかけの生産者に会う為に。
ドメーヌ・ジャック・セロスの当主アンセルム・セロスを訪問した。彼のシャンパーニュとの出会いはかれこれ10数年前である。当時20歳そこらの青臭い私がパリで出合ったシャンパーニュ。自分のお金で生まれて初めて購入したシャンパーニュが彼のシャンパーニュでした。
当時働いていた神戸の仕事先に勉強に行きたいから、今の私の若い感性でフランスを見たいから!と無理を言って長期休暇を貰い、それまでに貯めた少しのお金を握り締め誰にも頼らず単身パリへ行きました。(恐らく大海を知らず、何処まで自分が一人の力でやっていけるか確かめたかったのかも知れません)丁度、関空が新しく開港され、ド・ゴール空港も新しくなり建築にも興味があった私からすると尊敬する建築家の作品に踏み入れる楽しみも大きく、期待と夢に溢れていました。
しかし当時何も出来ない無力な私の緊張は優に限界を超えていたと思う。何とか入国し、初めて見る大きな建造物の迷路を迷いながらバス乗り場を見つけ出し、ド・ゴール空港からオペラ座までの予定のバスの乗り場へ向かい乗るはずの乗り場に到着したバスはディズニーランド行きだった。早速フランスの洗礼を受け、傷心ながらもたどり着いたセーヌ川沿いのホテルでは大きな声で喧嘩している客やエレベーターが頻繁に警報のような音を鳴らしたり、近くのルーブルのメトロで爆破事件があったりと小さな私が萎縮してしまうには充分な程の恐さがあった。
何かが違う・・・「どうにかなるさ」と安易に思っていた自分がいたのでギャップに驚いた。当時は空港を出た瞬間から英語が一切通じなかった(いや、フランス至上主義の世界だったので本当に簡単な単語も通じなかったり、知らんぷり、聞こえないふり、判らないふりが普通だった)
若く、お金も、語学力も無いアジア人を親切にしてくれる空気は一切無かった。買い手至上主義の日本と売り手至上主義のフランス、何処に行っても辛かった。
世界でトップクラスだった鴨のレストランにも行った。今ではご縁があってその同じ貴重な鴨を使用できるまでにもなれた。世の中面白い。
しかも覚えた少しのフランス語も殆んど通じない・・・ボンジュールすら????と返される。発音が少しだけ違うだけで通じない事に驚愕した。何となくニュアンスで繋がりあっている日本とは違う事、どうにかなるさ!は絶対にどうにもならないとまで理解するのにそう時間は必要ではなかった。
そんな傷心の毎日の中、偶然入ったワインショップで何処かで見たことがある日本人女性がいた。よ~く過去を思い出してみると・・・彼女は神戸の仕事場に食事に来てくれていたお客様で私も何度と無く、お話をさせていただいた事がある方でした。彼女も私の事を覚えていて下さっただけで私はオアシスを見つけれたと飛びつき、彼女と話した。当時はまだあどけなく「コルドンブルーで料理を勉強するの」と言っていた彼女は現在、東京で有名なお店を切り盛りしている。なんて面白い世界なんだと今になって思う。

そんな中、人生観を変えるようなシャンパーニュを教えてもらった。長くなりましたが・・・そう、それが彼のシャンパーニュでした。今ではとても高価になってしまって飲む事も無く・・そろそろ価格が味を超えてきているような気もしなくも無いですが・・・・。
しかし、シャンパーニュに来て彼を訪問しない訳にはいかなかったのです。彼は世界的にもスター的存在で、超多忙で、今やレコルタン・マニュピュラン(自家畑で自分で栽培し醸造、瓶詰めまでする生産者)の神的な存在です。

この年になってフランス人と言う人種がある程度理解でき、少しだけでも意思の疎通ができ、昔よりもっとフランスの良さを知った今、改めてパリに行きたいと思う最近です。
今年は恐らく、無理だと思います。出来れば来年、又パリでゆっくりしてみたくなりました。
昔の自分に対自しこれからの自分に問いかけするかのように。
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by fumi-sama | 2008-01-12 10:26 | Magasin お店の事全般


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